緊張型頭痛とパニック障害01

はるか昔のこと。
アカシアの花がアスファルトを埋めて、ポプラの綿毛が生ぬるい空気の中を漂っていた季節だったことを覚えています。

今で言えば派遣会社、当時は日雇いとか口入れ屋とか言っていた会社に派遣されて千歳の北の工場で働いていました。
各種発泡色付き砂糖水を詰める缶を製造する工場で、夜勤要員として派遣されていたのです。

仕事そのものは、1970年代でも「なんで機械化しないんだ」というレベルの、単純作業のくせに、微妙な力加減が必要な、中腰状態を要求される、長時間労働という、仕事でした。
このような仕事を、1970年代でしたから、月曜日から土曜日まで、真夜中から朝まで(24時間3交代制なものなので)やらされ、私を含めた6人の派遣仲間は精神的に荒んでいました。

休みと言っても、地代の安い所に建てられた工場の、そのまた直近の寮ですから、近所に遊びに行く所がなく、かと言って居酒屋に行く金もなく、ダラダラ寝るしか暇つぶしのしようがありませんでした。

さて、休日が終わって、再び夜勤の日々が始まろうと言う夜の事です。

仲間の一人が、工場の敷居をまたいだ時に崩れるように膝をつきました。

喉を抑えるような姿勢で、そのままうずくまってしまいました。

仲間の一人が「どうした、喘息か」と声をかけましたが、返事が帰って来るはずがなく、「取り敢えず運ぶべ」と言うことで「保健室」へ担いでいきました。
運ぶ途中で手足の痙攣が始まり、運ぶのに苦労しました。

保健室には誰もおらず、ニワカな喘息持ちをベッドに置いて蛍光灯を点けました。

見ると絞ったように汗まみれで、激しい息遣いです。

筆者は「ちょっと呼んでくるわ」と言って、派遣会社のお目付け役の名前を言って、工場敷地内の更衣室へ走りました。

そしてお目付け役を連れてもどると、「なんだ。なんともないべ」という状態になっていました。

喘息の発作が起こり、異常発汗と痙攣の発作に襲わているはずの仲間は、うまそうに水道水を飲んでいました。

「なんだ、なんともないってか」と言ってやると、「急に胸が苦しくなるは、息はつまるはで、わけが分かんなくなった」という返事です。

時間にして15分間前後の事です。

「いったいどうしったてんだい」と声を上げかけるのに「いや、こう言うのはこいつが初めてじゃないんだわ」とお目付け役が言いました。

「これから1週間重労働が続くかと思うと、誰でも憂鬱になるべ。今まで3人いたったんだが、汗ですむだけましだわ」
筆者を含めて5人が「えー?!」と言う顔でお目付け役を見つめるのに「尿もらしたやつがいてな。まぁともかくだ、おめぇやれるか」
と、ベッドの上で座り込んでいる汗まみれの男子の肩に手を置いて軽くゆすりました。

「はい」
「じゃあやってくれ。夜勤明けに会社に報告するからな」と言うことで、時計を見ると始業時間が目の前です。

それっと6人打ち揃って更衣室へ走りました。

結局、その男子は翌日に札幌へ戻ることになり、代わりは来なくて、それからの5日間と言うものは、同じ部署の男子どもは狂わんばかりの忙しさだったそうです。

その男子とはそれ以来合うこともなく。
覚えているといえば頭痛持ちだった事。
それも決まって「これから仕事」と言う時に、「じわーっとロープで締め付けられるような痛みに襲われてしまう」と言う言葉が印象的でした。

緊張型頭痛とパニック障害02へ続く

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