コミュニケーション障害の生き方
コミュニケーション障害は場数、経験値だけではその障害への克服できず、負の体験への間口は何処かで待ち受けている様に思えます。
その様な恐怖心からの克服は周囲が思うほど安易では有りません。
客観的には口数の少ない堅物(または物静か)の様に誤解される事が多い様です。
しかし実態は、恥ずかしく、情けない自分自身の本来の姿を他者に晒す事への恐怖感から回避可能性を模索している思われます。
若年層
特に思春期の若年層は一層その傾向が強く現れ、行動や活動範囲が必然的帰結として制限されて行きます。
他者との距離感や同調尺度など社会的人格形成に少なからず影響を与えます。
この様な束縛から解放する術として意識改革が欠かせません。
当人以上に四六時中、コミュニケーションの下手さに注察している想像的存在は現実では皆無であると強く認識し、人前での必要以上な緊張感を自ら減少させる努力が必要と成ります。
老後生活
人間は年を重ねると自らの寿命が尽きてしまうか、親しい者に先立たれるかが運命です。
仮にフィジカル上でハンディサポートが形状的に充足されてあっても、自らのみ生き残った事への必然的な孤独感は避け難く、どうにも成らない孤独感に満ちた高齢者にとってはある種鈍感になる必要性が生き延びる術として重要な意味を占めます。
コミュニケーション障害の人は一層不幸に見えるかもしれませんが孤独自体より好奇な目に晒され周囲からの注察による苦い現実を知っているので、静かで孤独な老後生活に際しては労せずして適応能力を発揮できるメリットもあります。
この様に人生をトータルに考えた場合精神的機能障害の有無は、その本質においてどちらが損か得かの比類を単純に出来ない事が分かります。
あくまで看護側の観点から察すれば精神的・肉体的に健常である方が看護に手間がかからないという理由で望ましいという事が社会的代弁者の声として成立しているだけだと思われます。
コミュニケーション障害や認知症は当人の感情を前提に考察する必要があります。
現役世代
他方先の長い現役世代ではコミュニケーション障害克服願望が強く反映されます。
対話能力の向上は社会的立場にも影響を与え生活の質に直結する様に思えるからです。
コミュニケーション障害の特徴は、会話上、相手との価値観の乖離(かいり)に即し、自我を押さえ戸惑いながら無理に相手の価値観に対応しようと試みる事から生じる傾向があります。
より深く会話が展開できない事はそもそも話題自体に興味が無い為、返答にしどろもどろに成りスムーズな会話が出来ない事は云わば当然な結果です。
しかし場数、経験値だけでは克服は出来なくとも馴化される事が可能です。
この場合馴化とは会話のパターンを習得する事で基本的に会話自体に興味や関心が無くとも必然的に体験を通して最低限の適応能力を保つ事は可能に成るといわれます。
コミュニケーション障害克服においても年齢に比例し困難度も増します。
長期に及ぶ潜在化された様々なコンプレックスも相まって義務的、且つ形式的な(報告)以外の会話には基本的に抵抗が生じます。
対処方法は会話する為の必然性を能動的に作り出し、徐々に会話行為への心の負担を少なくする方法を構築して行く方法しかありません。
具体的には自分の関心事について会話相手を誘導させる事も有効手段です。
リハビリも概ね会話の積重ねであって、方法論的においては矛盾はありません。
元来、雄弁な人の特徴として仮に会話で意見対立しても論破できる自己確信を持っています。
周囲への説得力や共感醸成構築にも自負しています。
しかしその雄弁が災いし時に瑕疵(かし)が生じた場合であっても本能的に潮時を察知し挽回する方法を熟知しています。
加えて物事の失敗をゲーム的に捉え挫折する事よりも挽回手段を模索する事に思考が偏ります。
標準的な人の感情からは大変な自信家で、本人にとってはその性癖に対して寛容である事が生きる上での必須条件と成ります。
逆にコミュニケーション障害を患っている人との最大の乖離点は自己肯定感、瑕疵への正当化やミスに対する寛容性の大きさに現れます。